「人を愛するとは,その人とともに年老いていくことを受け入れることだ」
be willing to V 「よろこんで(すすんで)Vする」
カミュの「カリギュラ」(“Caligula”)の中のことば。カリギュラとはネロと並んで暴君として有名な古代ローマの皇帝。上のことばはカミュのこの戯曲の中でカリギュラが最後近くで述べるセリフにあります。フランス語原文を引こうと思って本を探したのですが,どこかに埋もれているらしく一時間近く探しても出てきません。上の英文は,そういうわけでネットで探した英訳からいただきました。まだ著作権切れてないと思うんですが,いいんですかね。being willing to のところは確か原文では accepter de になっていたと思います。
大学時代に同じ学科の連中と「読書会」と称するものを何回かやってました。で,誰が言い出したのか,「じゃ,次回は『カリギュラ』にしよう。みんな読んできてね。」ということになって,わたしとしては苦労して原文で読んでいったのですが,連中はみんな翻訳でお茶を濁して,ちょっとムカついたというか,原文で読んだ分(カミュのフランス語は概してやさしめ),優位に立ったというべきか...とにかくわたしの気に入ったセリフとして紹介したのが上の文です。
男性諸君は,「あっ,それ俺もいいと思った」とか何とか言って好評だったのですが,女子は一様に「え~っ,わたしはヤだな」という反応でした。
「老いる」「歳をとる」ということに対して,女性たちは男性にはうかがい知れない恐怖や反発があるようです。大学を出てからも女性たちのそういう感情に出会って驚くことが何度かあったように思います。
「その人とともに死ぬ」のであれば,現実にどうかは別として何か美しいロマンティシズムに彩られたことばになるのに,そして「その人とともに生きていく」はこれも美しい決断として輝くかもしれないのに,「その人とともに老いる」は,むろん人によって違うのでしょうが,概して若い女性にとっては目をつぶりたいことになってしまうようなのです。女性に限らないかもしれません。若いということは,歳をとるということが理解できない状態のことを言うのかもしれません。
この時代は特に「歳をとること」を忌避する時代のようです。歳をとることに恐怖を抱くだけでなく,歳をとっている人間も歳をとっている実感を失いつつあります。わたしも歳をとった気がぜんぜんしていません。今のところとりあえず健康を維持しているからなのでしょうが。
歳をとることは,性が脱色されて中性化していくこと,自分が歩いている先に死というゴールがしだいに見えてくること,時間が有限であることを思い知ることだと,ふつう理解されています。そうではなくてもっと単純に,歳をとることがどういうことなのかを自分が知らなかったことを知ることなのかもしれません。「心が若い人は,いつまでも歳をとらない」という言葉があったように思いますが,それを逆に解釈すれば「歳をとったということを自覚できない人は,いつまでも成熟できない」ということかもしれません。わたしも成熟できないひとりであることは言うまでもありませんが。