「自分はいかなる知的影響とも全く無縁だと信じている実務家も,たいていの場合,どこかのもう時代遅れになった経済学者の奴隷になっている」 (ジョン・メイナード・ケインズ『雇用・利子・貨幣の一般理論』)
- exempt from ~ ~をまぬがれた
- defunct 廃れた
- some + 可算単数名詞 何らかの~,何かの~
これもよく引用される有名な文句です。原文はこの後に,
Madmen in authority, who hear voices in the air, are distilling their frenzy from some academic scribbler of a few years back.
「天からのお告げを聞くという頭のおかしい権力者も,何年か前の雑文を書き散らかす学者から,その狂気のネタをひきだしているのだ。」
とつづきます。
- in authority 権力の座にある
- distill ひき出す,蒸留する
- scribbler 三流の学者・記者など < scribble なぐり書きする
practical men は「実務家」と一応訳しましたが,別に何かのプロの実務家ではないでしょう。理屈なんかいらない,学問など何になる,というようなタイプの人間のことです。つまり,ふつうの私たちのこととして読みたいと思います。
私たちは,思想やイデオロギーから(日本人の多くの場合には宗教からも)自由である,自由でありたいとと思っているかもしれませんが,その自由は本当はイデオロギーからの自由ではなく,現在この社会と時代の中で支配的であるイデオロギーに同調している限りにおいて与えられている自由にすぎません。周囲の人が行動規範としている(と思われる)ものに従っていれば,とりあえずご褒美として受け取れる自由,つまりある人々から見ればカゴの中,牢獄の中の自由なわけです。
この牢獄から抜け出そうとする試みは数多くありました。それが新しい芸術であったり,新しい文学であったり,音楽であったり,思想であったり,社会運動であったりしました。しかし,この牢獄から抜け出すことは簡単なことではありません。抜け出そうとする試みの多くは,押しつぶされるか,自分からつぶれてしまうだけでした。残った少数のものは何かを変革しましたが,それは次の世代にとっては新しい牢獄とうつるのでしょう。結局ここからは永久に抜け出すことはできないのかもしれません。
でも,絶望する必要はないでしょう。自分が今いる場所はカゴの中だということを心しておくだけでも,何も考えないで「おれは自由だ」と信じ込むよりはましだという気がします。カゴをぶちこわせる可能性はなさそうですが,すり抜ける(すぐ連れ戻されますが)という楽しみくらいは持てますしね。あれっ,なんか話がズレちゃいました?