「伝統はまず第一に歴史意識に関わっており,25歳を過ぎても詩人であり続けようとする人には誰にとってもそれは不可欠なものだと言ってよかろう。」(『伝統と個人の才能』 T. S. エリオット)
もう少し長めに前後の文脈を引用してみます。
Yet if the only form of tradition, of handing down, consisted in following the ways of the immediate generation before us in a blind or timid adherence to its successes, ‘tradition’ should positively be discouraged. We have seen many such simple currents soon lost in the sand; and novelty is better than repetition. Tradition is a matter of much wider significance. It cannot be inherited, and if you want it you must obtain it by great labour. It involves, in the first place, the historical sense, which we may call nearly indispensable to anyone who would continue to be a poet beyond his twenty-fifth year; and the historical sense involves a perception, not only of the pastness of the past, but of its presence; ( Tradition and Individual Talent T. S. Eliot )
「しかし,もし伝統の,伝承することの唯一の形態が,直前の世代の成功に盲目的におずおずとつき従って,そのやり方を踏襲することにあるとするならば,『伝統』などきっぱりとさえぎってしまうべきだろう。こうした単純な傾向が,やがて埋もれて消えてしまったのを我々は数多く目にしてきた。繰り返しになるよりは目新しい方がましなのだ。伝統とはもっとずっと広い意味をもった問題なのである。自然に受け継ぐことなどできはしないものなのだ。伝統を望むなら,大変な労苦の果てに手にするしかないのである。伝統はまず第一に歴史意識に関わっており,25歳を過ぎても詩人であり続けようとする人には誰にとってもそれは不可欠なものだと言ってよかろう。そして,歴史意識は,過去のみならず現在をも感じ取ることに関わっているのである。」
若い頃,この文句に出会った時はちょっと複雑な心境でした。べつに詩人になりたかったわけではないのですが,才能だけで勝負できるのは25歳までで,そこを過ぎれば「伝統」を,「歴史意識」を自らに課さねばならない,というのは自我の肥大化した若者にとっては少しうるさい重荷だったのでしょう。
もちろんここで言われているように,歴史意識とは,歴史知識とは別物であり,また過去だけでなく現在についての感覚的認識を含みます。古典に無知であるとするならば,それはそれで問題ではあるでしょうが,古典を知ったからと言って歴史意識が身についているわけではないということになります。
伝統はともすれば,歌舞伎やら法隆寺やら何かそこにある実体的なモノと考えられがちですが,それは伝統の一断面,悪く言えば伝統を固定化された「死体のようなもの」としてとらえた姿にすぎません。伝統とは,時間の中にうごめく生きものなのであって,それは今も私たちを束縛しつつ,私たちによって書き換えられつつあるもの,と考えるべきなのではないでしょうか。
いい年こいて,自分の才能なんか信じてるんじゃない,ちゃんと伝統と格闘しろよ,というのが私の読解なのですが,いつもながら勝手な読み替えですねえ。