「さよならを言うことは少しだけ死ぬことだ」
改めて引用するのはちょっと恥ずかしいくらいの有名な文句ですね。Chandler の “Long Goodbye” の最後の方に出てきます。清水俊二訳も村上春樹訳も似たようなものだったと思います。(調べればいいんだけど,本棚の奥の方なので...)
原文はこの文句の直前が以下のようになっています。
The French have a phrase for it. The bastards have a phrase for everything and they are always right.
「フランス人はこういう場合のためのある言い回しを持っている。連中は何にでも言い回しがあって,常に正しいのだ」
原出典はフランス語のようなので,手持ちの “Les Grandes Allusions” という引用句辞典で調べてみると,19世紀フランスのエドモン・アロクール( Edmond Haraucourt )という詩人の詩 “Rondel de l’adieu” (1891) の一節のようです。多少フランス文学をかじったことはありますが,このアロクールという詩人は知りませんでした。日本はもちろん英語版のWikipedia にもなく,かろうじてフランス語版に短い解説がある程度で,この引用句辞典にも「この詩がなければ,この詩人は忘れられていただろう」とあります。詩の第一連は次のようになっています。
Partir, c’est mourir un peu,
C’est mourir à ce qu’on aime:
On laisse un peu de soi-même
En tout heure et dans tout lieu.
別れることは少し死ぬこと
愛するものと訣別すること
人は自分自身を少しだけ置き去りにする
いつの日にも,いかなる所でも
自分の体の一部がもぎ取られるような別れというものを誰もが経験するのでしょう。その時,自分の過去と未来,経験と可能性の一部,そして自分自身の一部が死んでいきます。長く生きていれば,体のあちこちがもぎ取られ,壊死しているということになるのかもしれませんし,若ければ,死んだ跡から新しい何かが蘇生してくるのかもしれません。
僕自身はなにか「あっちこっちが死んじゃってるなあ」という気がしますが,それはあまり蘇生を望まなかったからなのかな。この死にはちょっと甘美なところがありますからね。どんどん死んで,どんどん蘇生するのが健全な生き方というものなのでしょう。