「幸せな家族はみな似ているが,不幸せな家族はそれぞれ独特に不幸せである」
なんか有名な文句が続きますが,この「アンナ・カレーニナ」の冒頭の文句はかなり人口に膾炙しているセリフです。
内容的には説明の必要はありませんね。語学上も問題ないと思います。 in one’s own way 「~独特のやり方で,~なりに」
ところで私はむかしなぜかこのトルストイの名文句を逆に覚えていました。「幸せな家族はそれぞれ独特で,不幸せな家族は似ている」という具合にです。それだけでなくさらに,「そりゃ逆だよな。だからトルストイはドストエフスキーほどの深みがないんだよ。」と濡れ衣を着せた批判をしていました。ばかですね。
でもなぜ幸せは紋切り型でワンパーターン,不幸は固有で独特なのでしょうか?逆はあり得ないのでしょうか?
そう考えてみて,ふと思いつきましたが(単なる思いつきですが),子供のころ外国映画を見て,出てくる外国人俳優がみんなおんなじに見えませんでしたか?日本の映画やドラマを見れば個々のキャラクターが識別できるのに,外国人だと「あれっ,この人さっきの人とは違うの?」とわけがわからなくなることがありました。逆に,たとえばアメリカ人が日本映画をはじめて見ると登場人物を識別するのに苦労するそうです。
人は自分の世界とは異なる世界に暮らす者たちの個別性を識別するのが苦手である。そういう結論を引き出すとすると,トルストイの言葉への先ほどの疑問も合点がいきます。わたしたちはどこかで自分の家族は不幸だと思っていて,幸福な家族など別世界の人々だと感じている。だから不幸の個別性は識別できるが,幸福に個別性を認めたがらない,ということです。
えっ? 納得いきませんか?それはたぶんあなたが幸福の世界の住人だからでしょう。