僕は高校時代はまったくといっていいほど勉強をしなかった。はるか昔のはなしだ。
学校の勉強は,という意味である。自分としては3年間でたくさんのことを学んだつもりだし,読書量もそれなりにあったと思うが,それは学校とか教育という枠の外でやったことで,いわゆる学業としてはゼロに近かっただろうと思う。
だから,はやばやと浪人を決めて,受験勉強を始めるとなると中学レベルからのスタートであった。当時は今のように受験や勉強に関する情報があふれていたわけでもなく,それにアドバイスを与えるスタッフが予備校等にいたわけでもなく,教師も学生の勉強法などに口は出さない時代であった。すべて我流で取り組むほかはなかった。
そんなわけで,英語に関して僕が最初に手をつけたのは,文法の本を一冊仕上げることだ。森一郎 著『入試英文法の原点』という本をたしか4月末に予備校が始まるまでの1月くらいで2回やったと思う。「高1の学力で80点はとれる!」という副題に引かれたのだと思う。学力のない自分にはぴったりのような気がした。調べてみると,今でも販売されているらしいので驚きだ。30年以上も前の本である。
各章は,最初に導入用の例題,つぎにその解説をしながら各課のポイントを押さえ,最後に発展問題という構成だった。内容的には枝葉末節に
これをやったのが春休みなのだが,結局,その後の一年を通しても英文法についてはこれ以外にやった記憶はない。単語やら読解やらはずいぶんやったのだが,文法はこれだけだった。学力低下が言われているわりに,今の学校や予備校で教えられている文法の方がよほどこまかいのではないだろうか。こまかすぎて,かえって重要な点が忘れられている。
こまかく教えるというのは,重要な点とさほど重要ではない点が同じ比重で教えるということだ。英語の苦手な人は当然混乱する。苦手でなくても,文法の重箱の隅にはくわしいが,総合的な英語力はパッとしないという人間が続出する。
あたりまえのことだが,語学力はらせん的に上昇する。文法力を1上げたら,単語力・読解力・書く力や聞く力も1上げなければならない。そうすることによってしか第2ステップへ移れない。先に文法力だけ10上げておく,そのあとで単語力を10上げて…というやり方はできないのだ。
あの本をやった1年後には大学に入れたのだが,アルバイトで家庭教師をするとほんの1年前に知ったことを,大昔から知っていたかのように生徒に向かって話す。これがまたいい経験になる。「ああ,そういうことだったのか」と内心思いながら「教えて」いった。新しい知識を仕入れたわけではない。知っていたはずの知識の意味が啓示のように新しい意味を帯びてやってくる,そういう体験だ。これが「らせん的」と言った