大学入試で出題される自由英作文問題には,個人的な感想や体験を記述するタイプと,少し突っ込んだ話題について論理的に議論するタイプがある,という話をした。
読まされる立場のわたし個人としては,後者の方が好きかな。
どっちにしても読んでいて,「おやっ,これは」と身を乗り出すような文章にはめったにお目にかかれない。これが日本語で書くものなら,出来不出来の如何に関わらず,読める体験や感想に出会う可能性もけっこうあるのだが,英語の文章となるとその可能性はほとんどない。論理的文章だってそれほどたいした文章には出会わないのだが,まだ採点はしやすいという長所はある。
ところが,この論理的文章に関する出題が,「ムチャぶり」に近いものが多いというのがこまったところだ。
- 死刑制度に賛成か反対か (一橋ほか)
- 小学校教育への英語導入に賛成か反対か (多大学で出題)
- 裁判員制度に賛成か反対か (早稲田・法)
なんていう,本が1冊書けるような大テーマを,200語以内だったり,1パラグラフで書かされる。ポイントを羅列するか,1つのポイントに舌足らずの根拠をつけ足して書けば,それ以上は時間的にも字数的にも書く余地はない。
慶應経済は,資料分析を含む,なかなかおもしろい出題で,よくよく資料を読み込むと読み込んだなりの深い分析ができるようになっていることがよくあるのだが,いかんせん,与えられた時間で分析→構想→執筆にまでたどりつくのは(たぶん,わたしだって)ムリである。表面をなぞった凡庸でありきたりの英文が書ければ,それで十分合格ラインに乗るような問題になってしまう。
どうせ出題するなら,いっそ自由英作だけで2時間くらい与え,ついでに辞書使用可とすればよさそうなものだ。でもそうならないのは,受験生みんながそんな力作を書いてしまうと,採点者は困ってしまうからだろう。
ひょっとすると,今の自由英作は1000人の受験生の中に埋もれているかもしれない宝石を,1個か2個だけ拾い出すためにあるのかもしれない。その他の石ころ(!?)のことは眼中にない,と考えると出題意図も少し理解はできるが,でも納得はいきませんけどね。