人によってちがいますが,質問するには多少の勇気が必要なこともあります。勇気,は大げさにしても少しくらいのハードルはあるものです。
そのハードルを越えて質問に行って,先生はいろいろと答えてくれたとしても,どうもすっきりしない,そんな経験もあるでしょう。そういう場合を考えてみましょう。
わたしの経験では,質問されて生徒にうまく答えられた,納得してもらえた,生徒はわかんなかったことがわかるようになって晴れやかな顔をしている,そういうケースは質問件数のよくても半分くらいじゃないかと思います。残りの半分は,わかったようなわかんないような顔,「そんなこと聞いてないんですけど」っていう顔,わかんないけど「まあ,このへんで勘弁してあげるよ」っていう顔をされたり,逆に「ごめん,こっちもよく知りません」っていう場合などですね。
質問に対応する教師は医者のような態度で生徒に接します。わからないってことは別に病気ではありません。でも,患者が頭が痛いと訴えたからといってすぐに頭痛薬を処方したり,脳の手術をするなんて医者はいません。頭痛という症状の下にどんな原因が隠れているのかまだ分からないからです。教師も質問されたポイントに答えるだけでなく,生徒がわからないホントの原因がどこにあるのか探そうとしています。ひょっとすると,大きな病気が隠れていて,それを治療すれば他のことまで一気に解決できる,つまり一気に成績が伸びるってこともありえないわけではないのです。
だから,生徒も自分の症状だけでなく,そうなるに至った経過,「これがわからないのは,こっちのポイントと関係しているかも」と自分で思うような関連事項を話してくれると,教師にとってはヒントになるかもしれません。このシリーズの第1回で,「質問は教師とのコミュニケーション」だと言いました。コミュニケーションというのは簡単のように見えて,すごく難しいことです。自分のモヤモヤをうまく言葉で表現するにはかなりのスキルと経験が必要です。家族や友人との会話という世界の中ではなかなか経験できないかもしれません。でも将来いちばん必要になるのは,勉強自体よりもコミュニケーション・スキルでしょう。
コミュニケーションが失敗するということは,多くの場合どちらか一方の責任というよりは,双方ともにかみあわない原因があるでしょう。質問が失敗するのも,両方に原因があるかもしれません。
- 教師もよく分からない ― 生徒がムチャぶりしてません?
- 教師の説明がヘタ(ヘタすぎなのは弁解不可能だけど) ― 生徒もうまく誘導してあげましょう
- 教師が質問の意味を誤解している ― 「そっちじゃなくて」と言ってあげよう
- 質問が漠然としすぎ ― 具体例をいくつか挙げて先生にヒントを出そう
- もともとそのポイントは,すっきりした説明が不可能
最後のがいちばん難しいかな。ちょっと説明しておきます。
学習の上でいちばんたいへんなことの一つは,「ココがわかんないと先に進めないのに,先に進まないとココもわかんない」場合があることです。つまり,「ココ」を今すぐ完全にわからなくていい,でも先に進んでから振り返ってみるとわかるかもしれない,そこを振り返って以前よりもわかると,より先に進みやすくなる,そのあとでもう一回振り返るともっとわかっている,そういうケースです。こういうポイントが意外と多いですね。
よく「しっかりと理解してから先に進みましょう」とか言われたりしますが,「テキトーに理解して,とっとと先に進んだ方がいい」という場合もあるのです。だいじなのはテキトーにすますことではなくて,テキトーにすませて進んだ後で,もう一回(何度か)振り返るかどうかです。「だいじなことを見落としていた」と悔やむことが人生にはよくありますが,じつは後ろを振り返る時にしか見えないものもあるようです。