映画「おくりびと」(英語タイトル: Departures )がアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。めでたいことである。この賞を日本の作品が受賞するのは初めてだという。
でも,それってそんなにすごいことなの?
カンヌの「パルム・ドール」なら,過去に「地獄門」(衣笠貞之助),「影武者」(黒澤明),「楢山節考」(今村昌平),「うなぎ」(今村昌平),ベルリンの「金熊賞」なら「千と千尋の神隠し」(宮崎駿),ヴェネツィアの「金獅子賞」なら「羅生門」(黒澤明),「無法松の一生」(稲垣浩),HANA-BI(北野武)が受賞している。
これらは『国際映画祭』であり,アメリカ映画,すくなくとも英語の映画をメインにするアカデミー賞とはちがっている。だからアカデミー賞はわざわざ『外国語』映画賞とことわっているわけだ。カンヌ・ベルリン・ヴェネツィア・トロントなどには「外国語」という断り書きのついた賞はない。どの言語,どの国籍の映画もスタートラインは同じである。
映画に順位をつけて何がおもしろいの?というまっとうな疑問は,とりあえず脇に置いておくことにする。
アカデミー賞はアメリカのお祭りであって,世界の映画の最高峰を決める祭典ではない。芸術性が基準になっているわけでもない。そんなことは自明なのだが,それでも知名度も影響力もずば抜けて高いのは,もちろん商業的な意味でのインパクトがいちばん持っているからだろう。アメリカは最大の市場であり,アメリカで興行的に成功しなければ,世界で成功したとは呼べない。
だからアカデミー賞が世界最高の映画賞であるといっても,商業的な意味ならそれほど外れていないということになるのでしょうね。アメリカのベースボールの大会にすぎない『ワールド・シリーズ』が,その年の世界最強のチームを選出する大会であると言ってもそれほど外れていないのと同じレベルで。
《アメリカ=世界》,《英語=世界共通語》という固定観念には誰もがうんざりしつつも,一朝一夕には改まりそうもないどころか,ますます強化されている。それに対抗しうるものも見当たらない。わたしたちはどこかで,対抗しなくてもいいやと思っているのかもしれない。世界というものをわたしたちは必要としていて,それに一番近そうなのがこの固定観念だからである。