『日本の英語教育』

著者:山田雄一郎 |出版社:岩波書店(岩波新書)|2005年|740円|英語教師・一般向け|独断的おすすめ度 ★★★☆

この本は2002年に文部科学省が発表した「『英語が使える日本人』育成のための戦略構想」 を批判的に検討することを通じて,日本の教育と教育政策の過去・現在・未来を考えることをねらいとしている。筆者は英語教育をめぐる議論の歴史をたどりながら,この「戦略構想」の考え方は実は少しも新しいものではなく,明治以来繰り返し俎上に乗せられてきたテーマの現代版であることを明らかにした上で,そこには一国の「教育政策」として本来あるべき理念や理念を具体化する「透明な」判断基準と手順が見られないと批判する。

たとえば戦略構想は,中卒段階では「平易な日常会話」ができ,英検3級程度,高卒段階では「通常の会話」とそれと同程度の読む・聞く・書く能力,英検準2級~2級程度の能力をつけることを目指すとしている。だが,「平易な日常会話」ができるとはどういうことなのか。

われわれは,「日常的」という言葉につい惑わされるが,日常会話とは,「何でもあり」の会話である。「せっかく土産にと買った茶碗なのに,使う前に割れちゃった」「そういえば長く会ってないね,近いうちにどこかで昼御飯でもご一緒しましょう」「今度アメリカに行くんだけど,税関検査が厳しくなってるんだってね」—「日常の話題に関する通常の会話」とは,このようなもののことである。

「日常会話」が実はいちばんむずかしい,というのはnon-nativeで,しかも英語圏に長く生活したという経験を持たないの学習者ならあたりまえに知っていることだと思う。ニュースや講演のたぐいを聞き取ることには苦労しなくても,日常会話はさっぱり聞き取れないこともある。「平易な」会話用のフレーズというのは存在するが,「平易な」会話が「平易な」フレーズだけで推移するというシチュエーションは考えにくい。文科省の「平易な会話」ということばが,「いまの時代,英語くらいしゃべれなくっちゃ」という英会話産業の宣伝(脅迫)文句の受け売りに響いてしまう。

筆者はまた,「マイネイムイズ~」という会話と「飼ってた金魚が死んでね,いま新しいのを買いに行くところだ」という2つの会話文を取り上げて次のように言う。

「飼ってた金魚~」は,文法を理解していなければ組み立てることができない。一方,「マイネイムイズ~」は,とりあえずそれを使うということであれば,文法の理解を必要としない。「マイネイムイズ~」は丸暗記の対象にすることができるが,「飼ってた金魚~」の方は,その範囲を超えている。(…) この違いは,そのまま学習方法の違いにつながるという意味で,英語教育(あるいは英語学習)の方法的分岐点でもある。今,あなたがこの分岐点に立っているとして,どちらの道を選びたいと思うだろうか。日本の英語教育の方向舵は,今,どちらに切られようとしているのだろうか。

「英会話」重視の方針が持つ矛盾を的確に示していると思う。むろん筆者は(そして私も)英語で話す能力を育てる必要を軽視しているわけではない。ただ,会話の例文を暗記するだけで英語力が育つという方向性に疑問を投げかけているだけである。

筆者はここから,小学校への英語の導入への疑問,受験英語のゆがみ,あるべき一つの方向性としての EU の「共通基準」(Common European Framework of Reference for Languages (2001) )などを取り上げている。受験英語については,別に論じたいので,ひとまずここでは取り上げないことにする。

「戦略構想」への疑義としてはまとまった理解が得られる貴重な書物で,英語教師や英語教育に関心のある方(とくに親御さん)には有益だと思う。

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