―― 自分の国のことを日本語では「我が国」といいますね。でも英語には this country 「この国」という言い方があるんです。
予備校の英語教師はそんな言い方をしたと思う。今から35年くらい前のことだ。
「ふーん,『この国』ねえ。変な言い方だけど,でも,いいかもね」
教師の言葉を満員の大教室の中で聞いていた浪人生の僕が思ったのもそんな感じのことだったろう。
現代の日本では自国を「この国」と呼ぶのは珍しくも何ともない。でも少し前まではそういう言い方は存在しなかった。「この国」という表現は外国語(西洋語)起源である。
this country 「この国」。 「この」って「どの」? どこかの国の話してたっけ? 最初にこの表現に出会った時の意外感はそのようなもので,「この人」といえば,直前で言及された人のことを表すのだから,直前に「国」の話をしていない文脈でいきなり「この国」と言われても戸惑うわけだ。
しかし,思い返すとこの表現はなかなかよかった。「我が国」という言葉の,力こぶの入り方,時として不遜・傲慢なひびき,内輪意識,そういうものが「この国」という淡泊な言い回しにはすっかり消えていて,無色透明な客観性が新鮮であったのだろう。時には胸をそらせて「我が国」という言い方をしたい気持ちもわかるが,何の思い入れもこめない語り口は案外日本語には欠けていて,なにかと重宝する表現なのだ。
You は「あなた」ではない。相手が同性だろうと異性だろうと,親・兄弟だろうと,一国の元首だろうと,何の敬意も持っていなくても,けんかを売るのでなくても,さらりと使える言葉である。「この国」という言葉も,とかくいろいろなニュアンスで着色されやすい「国」という名詞をきれいに脱色する表現であるように思えた。「この国」にどんな思い入れがあろうがなかろうが,そんなことはとりあえず脇に置いて語り出すことができる。もちろん,ことばはたとえ漂白されていようと,時がたつにつれて色がついていく宿命にあるのだけれど。
いつの間にか,「この国」という言葉は日本語の一部として市民権を得ている。最初に使用したのがいつ・誰なのかはよく知らない。少なくても,普及するに当たっていちばん貢献したのは,やはり司馬遼太郎,とくに一連の『この国のかたち』シリーズだろう。「我が國の國軆」とは違う,頭に血が昇った至情とやらとは別の語り方にふさわしいことばが「この国」,「かたち」であったのだと思う。
市民権を得たとはいえ,まだいくらか改まった文脈で登場する語彙である。日常会話でそれほどお目にかかるわけではない。以前大河ドラマで徳川慶喜(今をときめく本木雅弘)が「この国」を連発していたが,どこか「この国」行く末を考える時にふさわしいことばになってしまった。「色を抜いた」表現であっても,「色を抜いた」色がついているというべきか。