One Small Step for whom? ― アームストロング船長の失われた a

アポロ11号が人類史上初めて月面に着陸したのは,1969年7月20日(日本時間21日)のことで,まもなくちょうど40年目になります。月を人が歩く,それをテレビで眺める,という衝撃は当時生きていた人にとっての共通の体験となりました。

 

調べてみると,着陸が7月20日20時17分39秒(世界時)ですので,日本時間では21日午前5時39秒。アームストロング船長が月面に第一歩を記したのは,世界時で21日02時56分,日本時で11時56分となっています。僕はこれをテレビでリアルタイムで見ていたはずです。親と一緒にテレビ画面を食い入るように見ていたのは,あれは深夜だったような記憶があるのですが,見ていたのが「着陸」の方だったのか「第一歩」の方だったのか,両方だったのか,今では自信が持てません。NHKの同時通訳,西山千氏の声は鮮明に記憶しているし,彼がアームストロングの有名な言葉を訳したところを聴いていたような気がするのですが。それに午前11時の放送を見たとしたら,もう夏休みが始まっていたのだろうか?

 

月面に第一歩目を降ろした時のアームストロングの言葉は,

That’s one small step for a man, one giant leap for mankind.

「これはひとりの人間にとっては小さな一歩だが,人類にとっては巨大な飛躍である。」

だと一般にはされていて,現在出回っている引用句集にもこれで出ていることもあります。ですが,録音では明らかに for a man の a は聞こえません。そして,a のあるなしでは意味が大きく変わってしまいます。

  • a man ― 「ひとりの男」「ひとりの人」
  • 無冠詞・単数の man ― 「人類」

つまり, a がないと man と mankind で同じことを言っていることになり,

That’s one small step for man, one giant leap for mankind.

「これは人類にとって小さな一歩だが,人類にとっての巨大な飛躍である。」(????)

となってしまうわけです。

アームストロングは地球帰還後,「a って言ったつもりだったんだけどなあ」と述べたそうです。そこで,この言葉は,

That’s one small step for [a] man, one giant leap for mankind.

とカッコ付きで表記されることが多く,またたとえば "Oxford Quotations by Subject" では,[a] なしで引用したあとで,

interference in the transmission obliterated ‘a’ between ‘for’ and ‘man’

「通信上の障害のため,’for’と’man’のあいだの’a’が消えている」

としています。

‘a’ は発音されたのか,されなかったのか。通信障害はあったのかなかったのか。これはずっと議論がつづいている問題のようです[1] 。可能性としては,

  1. 発音された。通信上の問題で録音されなかった。
  2. 発音された。アームストロングの発音(方言もふくめ)の問題で聞き取れなかった。
  3. 発音されなかった。意図的に a なしで言った。
  4. 発音されなかった。a と言うつもりだったが,緊張か何かのせいで落としてしまった。

などがあるでしょう。

1 の説は,比較的新しく2006年にオーストラリアで録音を検討した結果提起された説です。先ほど引用した引用句事典もこの説を踏襲しています。しかし,言語学者たちのブログ"Language Log"[2]は,この説に批判的で,決着は持ち越されました。

 

この2009年6月,BBCによれば,「議論を決着させるべく」新たな調査が行われ,一応の解決を見たとその記事は述べています。

BBC の記事

 

それによると,オーストラリアで使われたのよりもずっと原音をに近い録音を調べ直した結果,

  • 録音では明らかに a は発音されていない。
  • アームストロングはふだんはちゃんと a が聞き取れるような発音をしている。
  • 他のヒューストン-宇宙船間の録音では a が消えてしまうようなことはない(つまり通信上の問題は考えにくい) 。
  • ただ,イントネーションを調べると, a を言おうとしていただろうと推測できる

つまり,上の4 に当たる,「a と言うつもりだったが落ちてしまった」のだと結論づけました。

記事は,a がない方が,シンメトリカルで詩的だ,と結ばれています。

 

詩的かどうかはともかく,ネイティブにとっても a は聞き取りにくいし,落としやすい,ということがよくわかるエピソードです。man という a のあるなしで大きな違いが出る語でもそうです。だから,日本人は気にしなくてよい,とは言えませんけどね。

 


  1. 当時の僕はそんなことには気づかず,前半と後半のあいだに and や but が入っていないのが気になったのですが。 [▲ 戻る]
  2. Language Log "Armstrong’s abbreviated article: the smoking gun?" [▲ 戻る]

 

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