国際的なデザイナー,イッセー・ミヤケとして知られる三宅一生氏が7月13日付でニューヨーク・タイムズ(The New York Times)の Opinion 欄に投稿しています。
この4月,プラハでの演説の中で,オバマ大統領は核廃絶という目標を語りました。
その後も核軍縮や核の不拡散について積極的に行動し,また現職の大統領としてははじめて,唯一の核使用国としての「道義的責任」に言及しています。むろん,広島・長崎の原爆投下について,「反省」なり「謝罪」なりをしているわけではありません。しかし,どのような解釈も可能な政治家のリップ・サービス以上のものが感じ取れるのも事実です。
三宅一生氏の投稿は,この「オバマの夢」に触発されたものです。彼がこれまで語ってこなかった自らのヒロシマ体験と口にし,大統領が広島を訪問してくれれば核廃絶の夢への第一歩となると結んでいます。
→ ニューヨーク・タイムズの Issey Miyake の投稿 "A Flash of Memory"
拾い読みしてみましょう。あまりむずかしい英語ではありません。
His (=President Obama’s) words awakened something buried deeply within me, something about which I have until now been reluctant to discuss.
I realized that I have, perhaps now more than ever, a personal and moral responsibility to speak out as one who survived what Mr. Obama called the “flash of light.”
「彼のことばは,わたしの心の奥底に埋もれていたもの,これまで語ることを控えてきたものを呼び覚ました。今,これまでになくわたしは,オバマ氏のいわゆる「一閃の光」を生き延びたものとして声を出す人間的・道義的責任があると思う。」[1]
When I close my eyes, I still see things no one should ever experience: a bright red light, the black cloud soon after, people running in every direction trying desperately to escape — I remember it all. Within three years, my mother died from radiation exposure.
I have never chosen to share my memories or thoughts of that day. I have tried, albeit unsuccessfully, to put them behind me, preferring to think of things that can be created, not destroyed, and that bring beauty and joy.
「目を閉じると,誰も経験するはずのないものが目に浮かぶ。明るい真っ赤な光,そのあとの黒雲,四方八方に必死に逃げ惑う人々。今でも忘れられない。3年で母は被爆死した。
あの日の記憶や思いを,わたしは他人に語るまいとしてきた。それを背後に押しやって(うまくはいかなかったが),破壊されるものよりも創造されるもの,美と歓びをもたらすものについて考えようとしてきた。」
If Mr. Obama could walk across the Peace Bridge in Hiroshima — whose balustrades were designed by the Japanese-American sculptor Isamu Noguchi as a reminder both of his ties to East and West and of what humans do to one another out of hatred — it would be both a real and a symbolic step toward creating a world that knows no fear of nuclear threat. Every step taken is another step closer to world peace.
「東と西の絆,そして憎しみが人間にさせてしまうことをモチーフに,日系アメリカ人彫刻家イサム・ノグチが欄干を設計した広島の平和大橋を,もしオバマ氏が渡ってくれるなら,核の脅威の恐れのない世界を作り出す現実的で象徴的第一歩となるだろう。一歩歩むごとに世界の平和にまた一歩近づくのだ。」
- こういう文章の言葉尻をとらえるのもどうかしていると思うが,文法的には about which の about を取るか,discuss を talk にした方がいい。 [▲ 戻る]