村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチの英語解説

村上春樹がイスラエルで行った「エルサレム賞」受賞スピーチを取り上げます。英語のスピーチです。全文と翻訳を載せたいところですが,現役作家のオリジナルですから,版権の問題がありそうですので解説だけを載せることにします。原文については,イスラエルの新聞社のサイトにあります。

       Always on the side of the egg (by Haruki Murakami)

便宜上4つのパートに分けました。

 

PART I

「小説家はプロの嘘つきだ」というところから,スピーチは始まる。だが,この「嘘つき」は巧みなウソであればあるほど賞賛される。なぜか。真実をそのまま正確に描きとることは困難で,それゆえ小説という手段で真実を「おびき寄せる」ことで,より真実に近づくことができるからだ。

  • which is to say …  ― 「それはすなわち・・・」 that is to say 「すなわち,つまり」 の that を関係代名詞に変えたもの。
  • spinner of lies  ― 「嘘をつむぐ人」   spin 「つむぐ」
  • S is not the only one who …  ― 「・・・するのはSだけではない」 この onlyは「唯一の」という形容詞
  • on occasion  ― 「時々」
  • as do used car salesmen ― 「中古車のセールスマンと同じように」  do (=tell lies) と salesmen が倒置されている。 as 節では時々倒置が起きる。中古車のセールスマン(時には弁護士も)はアメリカなどではよく嘘をつく,口先だけ,の典型として扱われる
  • in that S + V  ― 「・・・という点で」
  • Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics.  ― 「それどころか,嘘が大きくうまければうまいほど,巧みに作られていればいるほど,大衆や批評家にほめられるだろう」   The + 比較級, the + 比較級 「…すればするほど~」の形だが,比較級が合計で4つある。この公式では,前半と後半の切れ目はふつう and ではなく,カンマになることに注意。 The Xer and the Yer, the Zer. は「XとYすればするほど,Zになる」, The Xer, the Yer and the Zer. なら「Xすればするほど,YにそしてZになる」
  • Why should that be?   ― 「いったいどうしてこういうことになるのか」 疑問文(特にwhyやhow)中のshouldは,意外感を強めるはたらき。強いて訳せば「いったいぜんたい」
  • namely  ― 「つまり」 (= that is to say)
  • that by telling …   ― この that は「…ということ」の接続詞。ここではなくてもいいが,後の文に which ~ true までの挿入が入って複雑なのでつけている。
  • bring a truth out   ― 「一つの真実を引き出す」 the truth でなく a truth (いろいろあるかもしれない真実の一つ)と言っていることに注意。
  • virtually impossible  ― 「ほとんど不可能で」 virtually = practically = almost
  • This is why …   ― 「こういうわけで・・・」 why は関係副詞
  • grab its tail by luring the truth from its hiding place,  ― 「真実を隠れ家からおびき寄せてしっぽを捕まえる」 lure 「おびき寄せる,誘惑する」 by 以下に luring, transferring, replacing という3つの動名詞がつづく
  • replace A with B ― 「AをBと取り替える,置き換える」
  • we first have to clarify where the truth lies within us. ― 「まず,わたしたちの中のどこにその真実が潜んでいるのかを明らかにしなければならない」
  • qualification ― 「資格,適性」

 

PART II

ウソと真実の話は,次の本題が自分の真実の声であることを言うための前置きだった。

多くの反対にもかかわらず,この式に出席しているのは自分で直接この現実に触れてみたかったからだ。語りかけたかったからだ。といっても,政治的メーセージを送ろうというわけではない。それが次のような,自分の小説家的な核心に関わるからだ。

"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."

「高く,堅固な壁と,それにぶつかれば割れてしまう卵の2つのうちで,わたしは常に卵の側に立つ」

わたしはたとえ「壁」の方が正しく「卵」の方が誤っていたとしても,「卵」の側に立つ。

このメタファーは,「壁」が戦闘を仕掛ける国家,「卵」が殺されていく民衆を意味するだけではなく,「システム」と「個人」との関係をも意味する。「システム」はわたしたちを守りもするし,殺し殺させもする。わたしは「個人」のかけがえのなさに光を当てつづける。

  • engage in ― 「~に従事する」
  • today happens to be one of them ― 「今日はたまたまそういう一日だ」 them は「わたしが嘘をつく仕事をしていない,年に数日しかない日」
  • A fair number of people  ― 「かなりの数の人々」
  • instigate a boycott  ― 「ボイコットをよびかける」 instigate 「そそのかす,扇動する」
  • the fierce battle that was raging in Gaza ― 「ガザで激しさを増している戦闘」 rage 「荒れ狂う」
  • The UN  ― = the United Nations 「国際連合」
  • the blockaded Gaza City ― 「封鎖されたガザ市」
  • Any number of times  ― 「何度も」
  • notice of the award ― 「受賞の知らせ」
  • ask oneself whether ― 「自問する,~ではないのかと考える」
  • the impression that I supported one side in the conflict ― 「争いの一方に加担したのではないかという印象」
  • endorse ― 「支持する,認める」
  • a nation that chose unleash its overwhelming military power ― 「圧倒的軍事力を行使することを選択した国家」 もちろん,イスラエルのこと。 unleash 「(押さえていたものを)解き放つ,爆発させる」
  • Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott ― 「むろん,わたしの本がボイコットの憂き目にあうのを見たくもない」Neither + V + S  「Sも・・・ない」  subjected to ~ 「~にさらされて,~を受けて」 see + O + C 「OがCなのを見る」
  • all too many people ― 「あまりに多くの人たち」 all too ~ 「あまりに~すぎる」
  • It’s in my nature, you might say, as a novelist. ― 「それは言ってみれば,小説家としてのわたしの性分だ」
  • a special breed ― 「特殊な生き物」 breed 「(生物の)品種」
  • stay away ― 「近づかない,遠ざかっている」
  • I chose to speak to you rather than to say nothing. ― 「何も言わないよりも,語りかけることを選択した」
  • This is not to say that  ― 「だからといって,~というわけではない」
  • deliver a political message ― 「政治的メーセージを発信する」 deliver 「送り届ける」
  • It is left to A to V  ― 「VすることはAにゆだねられている」
  • the form in which he or she will convey those judgments to others ― 「彼または彼女(作家)が他人にそうした判断を伝える方法」
  • transform them into stories ― 「それら(の判断)を小説という形に変える」 transform A into B  「AをBに変える」
  • the surreal ― 「超現実的なもの」 the + 形容詞 「~なこと,もの」
  • keep in mind ― 「覚えておく,銘記する」
  • I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall ― 「それ(わたしのモットー)を紙に書き付けて壁に貼りつけるなんてことまでやったことはない」 go so far as to V  「Vすることさえする」
  • carved into the wall of my mind ― 「心の壁に刻みつけられて」
  • "Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg." ― 「高く,堅固な壁と,それにぶつかれば割れてしまう卵の2つのうちで,わたしは常に卵の側に立つ」
  • no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. ― 「壁がどれほど正しかろうと,卵がどれほど誤っていようと,わたしは卵とともにある」
  • If there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be? ― 「理由は何であれ,壁の側に立って作品を書く小説かなんてものがいたとして,そんな小説に何の価値があるだろうか?」
  • bombers ― 「爆撃機」
  • white phosphorus shells ― 「白燐弾」 ガザ攻撃でイスラエルが使用したといわれる兵器。毒性が強く,国際法上禁止されるべきとの議論が強い。
  • Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell ― 「わたしたちひとりひとりが,もろい殻につつまれた,取り替えのきかないただ一つの魂だ」
  • be true of ~ ― 「~にあてはまる」
  • to a greater or lesser degree ― 「多かれ少なかれ」 to a ~ degree 「~の程度まで」
  • The System ― 「システム,体制,社会秩序を形成する機構」
  • be supposed to V ― 「Vすることになっている」(そういう建前になっている,ということ)
  • it takes on a life of its own ― 「それ(システム)は,それ自体の生命を持つようになる」 take on ~ 「~を帯びる」
  • that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. ― 「それ(わたしが小説を書く理由)は個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ,それに光を当てることだ」
  • sound an alarm ― 「警報を鳴らす」
  • keep a light trained on The System ― 「システムに光を当て続ける」 keep O + C 「OをCのままにする」 train A on B 「A(の照準)をBに向ける」
  • prevent it from tangling our souls in its web ― 「それ(システム)によって,わたしたちの魂が網の目に絡め取られないようにする」 prevent O from Ving 「OがVするのを妨げる,はばむ」 tangle 「からめる,まきこむ」
  • concoct ― 「調合する」
  • fictions with utter seriousness ― 「きわめて真摯なフィクション」

 

PART III

話題は,亡き父の話へ。昨年物故した父は教師兼僧侶でもあり,戦時中は中国戦線に投入された経験を持つ。戦後,彼は毎朝読経をしていた。かつての敵と味方の死者たちを弔うためだという。今も父のその後ろ姿が目に焼き付いている。

  • graduate school ― 「大学院」
  • was drafted into the army  ― 「陸軍に招集された」 draft 「招集する」
  • offering up long, deeply-felt prayers at the Buddhist altar in our house ― 「我が家の仏壇の前で,長い哀切に満ちた読経をささげる」 deeply felt 「痛切な」(死者の弔いの時に使われることが多い表現) prayer 「祈り」 altar 「祭壇」
  • I seemed to feel the shadow of death hovering around him ― 「彼(父)のまわりに死の影が漂っているのを感じ取れる気がした」
  • the presence of death that lurked about him remains in my own memory ― 「彼(父)のまわりに潜んでいた死の存在が,今もわたしの記憶に残っている」
  • It is one of the few things I carry on from him ― 「それは,わたしが彼から引き継いだ数少ないものの一つである」

 

PART IV

そしてまとめ。「システム」に対して,わたしたち個人は勝ち目はない。ただ,個人というものが,自分も他者もかけがえがないものなのだと信じ続けることしかできない。希望は存在する。

  • individuals transcending nationality and race and religion ― 「国籍,民族,宗教を超越した個人」 transcend 「超越する」
  • To all appearances ― 「どうみても」
  • If we have any hope of victory at all ― 「少しでも勝利の希望があるとするなら」 if + at all 「そもそも(かりに少しでも)…なら」
  • it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from the warmth we gain by joining souls together ― 「それ(勝利の希望)は,わたしたちが自分と他者の魂の独自性,かけがえのなさを信じること,魂と魂が結びつくことで得られる温もりからやって来る」
  • Take a moment to think about this ― 「少しこれについて考えてみてください」 直訳は「これについて考えることに,少しの時間をかけてください」
  • tangible ― 「てごたえのある,確固とした」
  • exploit ― 「搾取する,利用する」
  • I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize ― 「エルサレム賞をいただいてうれしく思います」 be grateful to V 「Vしてうれしく思う,ありがたく思う」

 

エルサレム賞受賞とイスラエル訪問に関しては,周知の通り多くの批判があります。村上自身も,受賞と訪問が持つ政治的意味(そしてあえてイスラエル批判を受け入れる自由で寛容なイスラエルというイメージ作りも含め)を熟慮したことでしょう。その上で彼はただ「語りかける」ことを選択したのだと思います。イスラエルという「壁」を批判するというよりも(ハマスもまた「壁」であろう),「ひとり」(ガザ市民だけでなく,イスラエル市民も)を見つめたいという,ある意味で村上の「オウム事件」の際の立場に通じる想いに発する行動でしょう。

村上の直接の社会的発言は,「オウム事件」以来のことですが,ある意味でわかりにくく,歯切れが悪く,「甘い」といえば甘いのですが,わたしはそれが彼の良さでもあると思っています。彼は社会的発言に際して既存の言い回し,手垢のついた言葉を使うまいと決意しているようです。そしてそれが「わかりにくさ」「歯切れの悪さ」を生んでいるように見えます。「システム」と「個人」という対比は,確かに手垢がついていなくもないですが,今の時点で紡ぎ出せる精いっぱいのタームであるのかもしれません。

イスラエル訪問というあまりプラスにならない選択を彼はあえてしました。プラスにならないからこそ,そう選択したのでしょう。彼のスピーチも小説家としてのアンガジュマン的発言というより,たまたま小説家であった「ひとり」のつぶやきに似ているような気がします。

決して強いメッセージでもなく,心揺さぶるスピーチというわけでもないですが,「ひとり」の人間の誠実なことばを感じることはできます。

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