財布のてんまつ

誰でも一度や二度は経験があり,したがって他人がその経験をしてもあまり同情もされず,「ははは,やっちまいましたか,それはそれは」と受け流されるのがオチなのだが,「やっちまった」本人からすれば人生の重大事であり,へたをすれば一晩眠れない夜を過ごさねばならないような事件というものがある。何と言うことはない,たとえば財布をなくすというようなことだ。

財布をなくしてしまった。夜にコンビニのレジで金を払おうとしたら財布がない。出がけに着替えた時に,財布を移し忘れたのだと思った。こっぱずかしいが,「すいません,財布置いて来ちゃって。取ってきますから,この商品置いといてもらえますか。いえ,5分か10分です。」とか言いつくろって家に戻ると,そこにも財布は見当たらないのだ。ただでさえ,書類やら本やら新聞やらが散乱した部屋を引っかき回し,山を崩し足場を掘り返しても,あるはずのものが出てこない。いつもならこれくらい探せば,人をあざ笑うかのようにひょっこり現れるものなのだが。高をくくって気分がだんだんと暗然としてくる。どこかで落としたのかもしれない。とりあえず鞄にあった千円札二枚をつかんでコンビニに戻った。

道すがら,自分の財布が道にころがっていないか,きょろきょろしながら歩いていく。むろんあるわけはない。ひょっとして気づかないうちに,コンビニのカゴに商品と一緒に入れてしまったのではないか。いや,そうだ。それしかない。バカだねー,俺も。店員が今頃笑ってるよね,などと思い決めてレジに戻ると,やはりないという。

またきょろきょろを繰り返しながらいったん家に帰って,発掘作業を再開。だんだんと軽い絶望というか,間歇的パニックというかが襲ってくる。まあ,中の金額はたいしたことはないのだが,銀行から下ろしたばかりだし,カードがいっぱい入ってるし,免許証もあるし,回数券も買ったばかりだし。発掘が部屋の整頓作業に拡大しても,やはり見つからなかった。

最後に財布を使ったのは,近所の別の店。あそこのレジの時点までは確実にあったのだから,金を払って財布を胸ポケットにしまった時にずり落ちたか,ちゃんとポケットに入りきらないまま歩き出して帰り道の途中に落ちたのか。その店が最後の頼みの綱で,人通りの少なくなった夜道を右に左に目を凝らしながら歩いていく。

もし見つからなければ,あちこちに電話をかけてカードの停止を請求しなければならない。ああ,めんどくさ。銀行は最近は10万以上の引き出しに本人確認が必要になったので,被害額は大きくはなりそうにない。すると問題はカードか。

「落とし物ですか。届け出はありませんけど。」と店のバイトのあんちゃんは言う。万策つきてしまった。

見つからないとすれば,前後の状況から盗まれた可能性は低い。すでに誰かが拾っているということか。拾った人がふつうの人なら警察に届けるだろう。免許証が入っているからすぐに警察から連絡が来るはず。この時間では届けにくいから,届けるのは明日の午前中。だとすれば昼には連絡が入る。それまで待って,そこから銀行やカード会社に連絡ということになる。ひょっとすると近所の人が免許証の住所を手がかりに直接届けてくれるかもしれない。お礼は1割だっけ。それとも2, 3割?手続きのめんどくささを考えれば,数千円出してもいいか....

 

すでにおわかりのこととは思うが,ヤツは意外なところから現れた。そういうものだ。

あきらめて家に戻って,あしたの手続きの順番など考えながら,しかたない,気分を切り替えて風呂でも入ろうと思ったら,その風呂場から出てきたのである。

実はコンビニに行く直前に昨日の風呂のお湯を抜いたのだが,そこでかがんだ際に胸ポケットから落ちたらしいのだ。ヤツは風呂場の手桶の中にすっぽりと収まっていた。

その時のうれしさと言ったら。まるで人生の憂さがすべて晴れ,悩みは消え,輝かしい未来が開かれたかのようだった。財布をなくして,それを再発見する,そんな愚かしくも日常的な出来事から,こんな心の底からの歓喜がやって来るとは,そちらの方が驚きでもある。

何の教訓も得たわけではない。自分の人生が少しでも前進したわけでもない。ただ自分のせいで,ちょっとした落とし穴に落ちて,1, 2時間で元に戻ったにすぎないのだが,けっきょく人はこういうことを繰り返して嘆いたり,喜んだりして生きているのだろうか。同じ場所で転落と回復を何度も経験しながら,そんなことからもちょっとした歓びは得られる。じつにくだらないのだが,それはそれで,まあいいか,というような気がする。自分の人生はまるごと肯定する主義なのである。

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