電子辞書についての詮無き考察

電子辞書はダメだ,という議論は電子辞書がこれほど一般的になった今でも時々耳にする。しかし,別に調査したわけではないから正確でないかもしれないが,高校生・大学受験生対象の英語教師は,そういう発言をあまりしないような気がする。私も「電子辞書は使うな」とは言ったことがない。ペーパー辞書には,少なくとも現在の電子辞書では持ちえない特性があるのは確かだが,それが電子辞書にしかない優位性を凌駕しうるものなのか,あまり自信がないからである。

辞書つまり,ペーパー辞書は「辞書」である。辞書は単なる書物ではなく,「辞書」という特殊な分類にしか属していない。線条性という拘束の弛緩。いったん目指す語にたどりついても,そこから線としてではなく,面として読まれる。視線は行きつ戻りつし,立ち止まり,目指す語意に出会ったとしても,さらに彷徨をつづける。競走ではなく,散策であり,私たちはそこに情報や知識を求めるのではなく,情報や知識と遭遇するだけである。予期せぬ遭遇に驚き,戸惑い,たじろぎ,悦ぶのである。

電子辞書は,辞書というよりもデータベースである。私たちは,クエリを発して,データを引き出す。データは,「見出し語」—>「語意」—>「用例」・「解説」と,階層構造的に整理・蓄積されていて,そこからデータが検索される。

電子辞書にはデータベースにすぎないという欠点がある。しかし,辞書が「辞書」であることを放棄する代わりに得たものは,魅力にあふれている。いくつもの辞書を格納できる。それらを横断的に検索でき,あちらの辞書からこちらの辞書へとジャンプができる。例文からの検索も可能。語尾からの逆引き。成句の一部から成句そのものを検索できる。辞書の追加も可能(私は独仏を追加,中国語も検討中)。そして何よりも,軽量。

毎日ぶ厚い辞書を持ち歩く宿命の語学教師ならば,この軽量という魅力に抗することはむずかしい。大辞典を机上に並べて,喫茶店でペーパーバックを読む,なんて想像が心揺さぶったのはそんな昔のことではない。だからこそ,生徒が電子辞書を使うのを止めることばを持たないのである。

ペーパー辞書は,初心者にこそ必要なものであり,辞書から知識を得るということがどういうことなのかを知った人が電子辞書に移行すべきである,そういう理屈も百も承知。しかし,「紙の辞書は引く気にならなかったけど,電子辞書にしてから引くようになりました」という声がちらほら聞こえ始め,やがて生徒の机すべてに電子辞書が並ぶようになると(それはそれで壮観だが),紙の辞書を薦める言葉は喉元につまってしまい,せいぜいおまけで貰った安物の電子辞書を使う者や携帯を辞書代りにしている者にダメ出しをするくらいになってしまうのである。

もちろん,電子辞書だってうまく使えば,欠点はかなりカバーできる。便利すぎてみんなうまく使おうとしないだけである。うまく使ってないのに,使えてしまうというのも電子辞書の欠点なのかもしれない。「用例キーを押そう」と何度も言っているはずなのだが,みんなどうよ?

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