ノーベル賞2008の狂騒

ノーベル平和賞の受賞者が決まり,あとは経済学賞を残すのみになった。複数の日本人受賞者が出たために,今年は大騒ぎだ。

文学賞発表の時は,ノーベル財団のオフィシャルサイトである nobelprize.org で,発表のライブ中継を見てしまった。

定刻を1分ぐらい過ぎてから,紙切れを持った紳士が白い扉を開けて会見場へ入ってきて,すぐその場で立ったまま,前置きもなく「今年のノーベル賞文学受賞者は...」と切り出す。発表の瞬間は全世界からのアクセスが殺到したためか,ストリーミングが途切れがちで聞き取りにくく英語ではなくスウェーデン語のようだった。だが聞こえてきた名前は HARUKI MURAKAMI ではなく,Le Clézio であることはすぐにわかった。名前が挙がった瞬間,会見場には8割方の「オー」という失望の声と,その中に少しの歓声が混じる。フランス人らしい女性記者が満面に笑みをたたえて小躍りしていた。村上春樹ファンとしては,そこでストリーミングを切った。

ル・クレジオの名前は特にフランスのメディアでは事前にあがっていた。アメリカのメディアではPhilip Roth, Don DeLillo, Joyce Carol Oates といったところ。各国とも村上の名前も入っている。イギリスの賭け屋の予想ではイタリアの誰とか氏が1位で,村上は6位だったはず。

 

南部・益川・小林氏の物理学賞は,南部氏の国籍がアメリカ国籍であることがあまり話題にならなかった。新聞では「日本人3人」が見出しに大書されていたが,NY Times や London Times では「アメリカ人1人と日本人2人」(イギリスでは順序が逆だったかも)という見出しだ。読売新聞はNY Times の記事に「アメリカ人1人などという記事さえ出た」と書き,なんかNY Timesの方が間違っているかのようであった。

上記のnobelprize.org には,過去の受賞者一覧に国籍は記されていない。ノーベル賞は国ではなく個人に与えられるものだと考えれば(そのとおりだが)国籍など無意味だが,「日本人3人」を強調すること自体,その考えからははみ出している。フランス国籍の高行健がノーベル文学賞を受賞した時,「中華民族初のノーベル賞受賞者」というニュースが中国では歓びを持って迎えられたと聞いて,わかるような,それでも「ちょっとちがうんじゃないの」というような気持ちがしたのだが,ことは日本でも同じだった。

 

確かに,ノーベル賞受賞者の数は国の学術的水準について幾許かを語ってはいるだろうから意味がないわけではない。平和賞や経済学賞は批判や議論の余地が多く,また文学賞はそもそも存在意義があるのだろうかとも思うが,わたしが門外漢のせいか,自然科学系についてはノーベル賞の権威はそれほど疑っていない。文科省には××年までに□□人の受賞者を出すことという目標があるらしいが,まあ理解はできる。(でも,ノーベル賞を取らせる教育って,ありうるのか?)だから,国別受賞者数をうんぬんすることもそんなに強く批判する気にはならないが,でもちょっと騒ぎすぎではある。自戒も入っていますがね。経済学賞のMASAHIKO AOKI もいつか取ってほしいし。

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