エリ・ヴィーゼルは,ユダヤ系(アメリカ在住)の作家。ホロコースト体験者でその体験を小説化した。1986年ノーベル平和賞受賞。
少し長めの引用は次のとおり。
The opposite of love is not hate, it’s indifference. The opposite of art is not ugliness, it’s indifference. The opposite of faith is not heresy, it’s indifference. And the opposite of life is not death, it’s indifference.
英語の解説は必要ないですね。
ホントは Graham Greene (グレアム・グリーン)の "The Human Factor" のことばを持ってくる予定だったんだけど,その文句が見当たらなくて,しかたなく似たのを探していたらこんなのにぶつかったというわけ。
グリーンの言葉は確か「理想の敵は偏見ではなく無関心だ。偏見は理想に近い。」というような内容だったと思うのだが,「無関心だ」の部分は記憶に自信がありません。「ヒューマン・ファクター」という小説はイギリスの駐アフリカ(のどこか)大使館に派遣された MI6 の諜報員が現地のアフリカ人女性と結婚し,ソ連の二重スパイとして働くというストーリーだったと思います。「理想の反対うんぬん」の文は,人種差別についての文脈中に出てきた,と思う。(曖昧な記憶ばかりですいません)
理想や愛や美や信仰や生の対立物は,偏見や憎悪や醜や異教や死ではなくて,無関心である。こういう言い方はとりあえず承認してもよい気がする。左翼(右翼)の敵は右翼(左翼)ではなく無関心だ,ならもっとわかりやすいかもしれない。現に,偏見がある瞬間突然に理想へと変わる,という出来事に遭遇するのはよくあることだし,憎しみが愛に変わるなんてのはほとんどありふれたエピソードにすぎない。
偏見を理想(または偏見)の側へと導く作業をわたしたちは啓蒙と呼んだりしているわけだが,啓蒙のことばは無関心には届かない。あるいは,ことばが届かないものを無関心と呼ぶ。無関心は中立ではなく,二項対立をうちこわす第三項でもない。悪意はないが,寛容でもない。おまけに,無関心は無関心であるがゆえに,非難するだけむだというものだ。
もっともたいていの無関心はそれほどピュアでかたくなな無関心ではなく,ちょっと揺さぶってみればたやすくどちらかに転んでしまうような場合も多い。無関心を装うことや,自ら選び取った無関心も無関心とは言えまい。
しかし,ホントに無関心は非難すべき敵なのか。
無関心を責める言説の傲慢さとか,無関心は非・無関心の側の敗北だとか,非・無関心側への無言の抵抗だとかいう語り口のことをいっているのではない(それはある意味自明のことだ)。無関心そのものに何かの価値ってないのだろうか。
まとまんねえ~。