culture と civilization (その2)

前回は,日本語には

文化 = 「精神的」, 文明 = 「物質的」

という図式が成り立ちうるが,英語では

culture = 「精神的」 は言えても,civilization = 「物質的」 は成り立たない,

ということを述べた。culture と civilization は,「意味論的に相補的ペアをなす一対の語」ではない。

 

わたしが,civilization = 「物質文明」 という図式を疑うようになったのは,大学時代にフランス語に触れたことがきっかけだった。

当時よく使われていた「モージェ」という愛称の教科書があって,これはモージェという人の作ったテキストなのだが,正式な名前は "Langue et Civilisation Françaises" という。「フランス語とフランス文明」。こういう時は「フランス語とフランス文化」といいそうなところに「文明」が使われている。じじつ第4巻などはほとんど文学だ。英語のcivilization も「物質文明」だけを意味するわけではないことは見たとおりだが,フランス語では英語よりも,「文明」という語のカバーする範囲が少しだけ広いようで,日本語とはさらに違いが大きくなっている。

 

しかし,civilization は「物質文明」を表すと言ってきたのは,あの教師だけではない。多くの教師たちが口にしてきた説明である[1] 。 それは単に日本語の「文化」と「文明」が持つニュアンスを culture と civilization に投射したということにすぎないのだろうか?

「文化」「文明」という日本語は漢語・漢文からとられた語ではあるが,現在の意味で使われるようになったのは明治以降のことで,つまり culture, civilization の日本語訳・翻訳語として使われる過程で現在の意味が付与されたことになる。だとすると,civilization = 「物質的」という原義にないニュアンスはどこから来たのか?

日本最大の国語事典「日本国語大辞典」はそのへんの消息を伝えてくれる。

文化

[語誌] (1) 漢籍に見られる語であるが,明治時代に「文明」とともに civilization の訳語として使用され,当初は「文明」とほぼ同じ意味であった。「文明」が「文明開化」という成語の流行によって明治時代初期から一般的に使用されていたのに対して,「文化」が定着したのは遅れて明治20年前後である。 (2) 明治30年代後半になると,ドイツ哲学が日本社会に浸透し始め,それに伴い「文化」はドイツ語の Kultur (英語の culture)の訳語へと転じた。そのことによって,次第に「文化」と「文明」の違いが強調されるようになった。大正時代になる[2] と,「文化」が多用されるようになり,「文明」の意味をも包括するようになってきた。

(小学館「日本国語大辞典」第2版)

つまり当初,文明 = 文化(「文明」優勢) だったのが分化して,文明<->文化 という対立図式ができ,しだいに「文化」優勢へと変わっていったことになる[3]

ドイツ語の辞書の「文明」(Zivilisation:ツィヴィリザツィオーン)の定義は,次のようなものだ。[4]

Zivilisation

Gesamtheit der durch den technischen u. wissenschaftlichen Fortschritt geschaffenen u. verbesserten sozialen u. materiellen Lebensbedingungen

文明 : 科学技術の進歩により創造・改良された社会的・物質的生活条件の総体

これは「広辞苑」の「文明」の項と大差ない。

 

「文明」の意味にはフランスの影響が,「文化」の意味にはドイツの影響がにじんでいる。

「文明」はフランス啓蒙主義とフランス革命の理念がその理念的支柱とした語であり,理性・啓蒙・進歩・普遍・都市・近代という概念と親和的であるが,「文化」の方は19世紀以降のドイツ思想やドイツ・ナショナリズムを背景に,超越的な精神性や民族の固有性と結びつく。

やがてこの2つは緊張関係を迎え[5] ,第1次世界大戦,戦間期,第2次世界大戦をとおして「文明」対「文化」の闘いがつづく。ナチスドイツはこの闘争の土壌の中から生まれているし,またそれを利用して国民動員態勢を作り上げた。[6] ドイツ人作家トーマス・マンは,ナチスを生んだ文化土壌を「ドイツ文化のデモーニッシュな面」として批判した。フランスのレジスタンス作家ヴェルコールの小説「海の沈黙」では,ドイツ人将校が戦争目的を「フランス文明とドイツ文化を結婚させる」ことと合理化している。仏独の対立は「文明」対「文化」の戦争というイデオロギーで飾られたのである。

 

明治後期から昭和初期にかけての日本語の「文化」という語の興隆が,こうした時代背景を背負っていることは疑えないだろうと思う。日本は日英同盟から日独伊三国同盟へと外交基軸が変遷していくが,それと相即的にドイツ的「文化」概念を輸入し,その概念を「文明」概念に逆照射して,精神文化<->物質文明 という図式を受け入れたということになる。同時期に輸入されたマルクス主義も,反資本主義というイデオロギーがむしろ反(物質)文明という理念と背馳することなくそれに溶け込んでいった。[7]

 

戦後,こうした「文化」概念は脱色されたはずなのだが,「文化は精神的,文明は物質的」というニュアンスはいまだかすかに命脈を保っているように思える。おそらく,文化と文明を対立させて考える思考法が,歴史上の一時期,地理的な一地方の問題には限られないからであろう。グローバル文明 対 ナショナル・リージョナルな文化 という形でふたたび現れているのかもしれないが,単純な歴史の反復にはならないだろう。

 


  1. 日本に限らず,また英語に限らず,教育はこうした誤解を常に再生産している。時を経るにつれある誤解は修正され,しかし新たな誤解が生み出される。 [▲ 戻る]
  2. 明治書院「現代に生きる幕末・明治初期漢語辞典」(佐藤亨 著)によれば明治43年ごろ [▲ 戻る]
  3. 「文化住宅」「文化包丁」というのは,文化的というより文明的(今風に言えば「インテリジェントな」ということだろう。文化が文明の意味の一部を請け負っている。) [▲ 戻る]
  4. わたしのドイツ語はあてにならないのだが。でも英語もそうか。 [▲ 戻る]
  5. というより,「文明」概念に対する対抗思想として「文化」概念が生じたのであろう。ナポレオンの侵略に対して,フィヒテが「ドイツ国民に告ぐ」を発したことが想起できる。 [▲ 戻る]
  6. このあたりの記述は,岩波「哲学・思想事典」の「文化」「文明」の項を参考にした。執筆者はいずれも,中田光雄。 [▲ 戻る]
  7. マルクス主義は普遍性を志向するイデオロギーでありながらも,エンゲルスはその源泉として「イギリス経済学」「フランス政治」「ドイツ哲学」をあげ,精神性をドイツに負わせているのがおもしろい。 [▲ 戻る]

 

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