「文化」と「文明」。
いつどこでのことかは覚えてはいないのだが,はるか昔の授業でのこと。ある英語の教師が何かのついでに「culture は「精神的な文化」のこと,civilization は「物質的な文明」のことですね。」と説明した。culture と civilization の違いについてである。
それ以来この説明は何度も耳にしたものだし,わたし自身口走ったこともあるかもしれない。
物質文明 vs 精神文化。実にわかりやすい。わかりやすいが,ほんとだろうか?
言葉の意味,特にそれが内包する微妙なニュアンスを考えるには,まずその用法,用例を考えるべきだろう。
「日本文化」はよく使われる。「日本文明」はあまり聞かない。何か縄文時代の日本人が土器を練りながら怪しげな儀式をしている時代みたいだ。
「機械文明」は言えるが,「機械文化」はムリそうだ。やはり「物質的」ということ?でも「中国文明」には儒教や道教だって含まれるのでは?
「文化人」と「文明人」。わたしは文化人ではないが,文明人ではありうる。文化人は少数のエリートしかなれないが,文明人は「文明的」と呼ばれている社会や時代に帰属していればオッケーだ。
反対語を考えるのも意味をつかまえるうまい手段である。
「文明」の反対語は「野蛮」「未開」。「文化」の反対語は何か?
代表的な英和辞典と国語事典で,culture <―> civilization ,文化 <―> 文明 を調べてみよう。
● culture 文化
culture [名] 1 [U] 文化; 芸術,文化活動((1)特定の時代・国における文化やその文化を共有する集団・社会を指す場合には[C]; その際しばしば修飾語を伴う。 (2) civilizationより精神面に重点をおく言い方) 2 [U] (学問・技能などの)修練;教養; 洗練 3 《医・生物》[U] (細菌などの)培養; [C] 培養菌,培養された細胞 4 [U] 栽培,耕作; 養殖,飼育
(三省堂 「ウィズダム英和辞典」第2版)
(青字は筆者。以下同じ。)
文化
(3) (culture)人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ科学・技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。文明とほぼ同義に用いられることが多いが、西洋では人間の精神的生活にかかわるものを文化と呼び、技術的発展のニュアンスが強い文明と区別する。
(広辞苑 第6版)
● civilization 文明
civilization [名] 1 [C][U] 文明 《高度に発達し,固有の文化生活様式を有した状態,また個々のそのような社会 → culture》 2 [U] (集合的に)文明世界,文明諸国(民) 3 [U] 文明化,開花; 教化 4 [U] (技術の進歩によって生み出された)便利なもの,文明の利器; (おどけて)(便利で快適な)文明生活,都会生活
(三省堂 「ウィズダム英和辞典」第2版)
文明
(2) (civilization)都市化。
(ア)生産手段の発達によって生活水準が上がり、人権尊重と機会均等などの原則が認められている社会、すなわち近代社会の状態。
(イ)宗教・道徳・学芸などの精神的所産としての狭義の文化に対し、人間の外的活動による技術的・物質的所産。西周、洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論「カノ欧州諸国ト比較スルコトノ多カル中ニ、終ニハ彼ノ ― ヲ羨ミ」→文化(3)
(広辞苑 第6版)
どうも,あの教師の言葉は日本語の「文化」<―> 「文明」 にはあてはまるが,英語の culture <―> civilization とは微妙にずれている。確かに英語の culture にも「精神的」というニュアンスがつきまとっているようなのだが,civilization の方は,「物質的」とは言い切れないものがありそうだ。少なくとも現在の英和では civilization を物資面に限定する記述はない。
今度は英英辞典で引いてみる。最大の英語辞書 OED の出番である。
culture
5. a. absol. The training, development, and refinement of mind, tastes, and manners; the condition of being thus trained and refined; the intellectual side of civilization.
b. (with a and pl.) A particular form or type of intellectual development. Also, the civilization, customs, artistic achievements, etc., of a people, esp. at a certain stage of its development or history. (In many contexts, esp. in Sociology, it is not possible to separate this sense from sense 5a.)
Oxford English Dictionary (2nd edition)
5. a. (絶対語) 精神・嗜好・風俗の教化,発達,洗練; そのように教化・洗練された状態; 文明の知性面
b. (形容詞を伴って,または複数形で) 知的発達の特定の形式・種類。または,一国民,特にその発達や歴史上のある段階にある,文明・習慣・芸術面での業績。(多くの文脈,特に社会学ではこの意味と5aの意味の区別は不可能)
civilization
3. (More usually) Civilized condition or state; a developed or advanced state of human society; a particular stage or a particular type of this.
civilize
1. To make civil (sense 7); to bring out of a state of barbarism, to instruct in the arts of life, and thus elevate in the scale of humanity; to enlighten, refine, and polish.
Oxford English Dictionary (2nd edition)
「文明」 3. (より一般的用法) 文明化された(civilizedな)状態; 人間社会の発達・進歩した状態; これの特定段階,または特定の種類。
「文明化する」 1. 礼節をわきまえさせること; 野蛮状態から引き出し,生活上の諸芸を教え,もって人間性の高次の段階へと高めること; 啓蒙・洗練し,磨き上げること。
どうもここからすると,culture と civilization が対立的というよりも,culture はcivilization に含まれると考えた方がよさそうな感じである。しかも,civilization には「発達」「進歩」といった,人類が単線的に発展していくという史観が見え隠れしているようだ。「古代文化」と「近代文化」には序列はないが,「古代文明」と「近代文明」には優劣がつけられそうな気がする。やがて発達することが前提の「原始文明」はありえても,「未開文明」はちと苦しいのである。
civilization は civilize から生まれた語だが, ~ize は「~化する」「~にする」という変化を示す動詞なのだから,それもうなずける。「文明」は進歩するが,「文化」は進歩しないのである。