State of Fear (Michael Crichton) — paperback review

語彙レベル★★☆☆|ストーリー★★☆☆|知的興奮度★★☆☆|前提知識★★☆☆|対象レベル 英検2級以上|ジャンル 冒険小説|672p.|英語

“The Lost World” を紹介したついでに取り上げます。邦題は「恐怖の存在」。2004年発表です。

はっきりいって,

なんだかなあ

という小説です。背景にあるのは「地球温暖化」(global warming) をめぐる議論。登場するのは環境テロリスト(!!)。人工的に津波や集中豪雨を起こしたりして,環境破壊と異常気象への人々の関心と恐怖を煽るというテロリストたちと闘うというストーリーなのですが,その荒唐無稽ぶりに引いてしまう人もいるかもしれません。

クライトンは地球温暖化をめぐる昨今の議論の方向には否定的なようです。小説中にも登場人物たちはいろいろなデータで論争を繰り返しているのですが,クライトンの考え方自体は,小説の後の Author’s Message の中でまとめられています。

  • We know astonishingly little about every aspect of the environment, from its past history, to its present state, to how to conserve and protect it. In every debate, all sides overstate the extent of existing knowledge and its degree of certainty.
  • Atmospheric carbon dioxide is increasing, and human activity is the probable cause.
  • We are also in the midst of a natural warming trend that began about 1850, as we emerged from a four-hundred-year cold spell known as the “Little Ice Age.”
  • Nobody knows how much of the present warming trend might be a natural phenomenon.
  • Nobody knows how much of the present warming trend might be man-made.
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  • The current near-hysterical preoccupation with safety is at best a waste of resources and a crimp on the human spirit, and at worst an invitation totalitarianism.
  • I conclude that most environmental “principles” (…) have the effect of preserving the economic advantages of the West and thus constitute modern imperialism toward the developing world. (…)

                          (“State of Fear” Author’s message)

要するに,現在の温暖化は,地球が数百年単位で繰り返す自然な温暖化なのか,人間のCO2排出による人為的な温暖化なのかは断定できない,ヒステリーに近い「環境危機」の言説は無駄であり悪くすれば全体主義への道となり,先進国のみを利するという主張です。

私もこの意見自体には個々には同意できるところがあります。地球科学者や気候学者たちの間では,「人為的な要因による地球温暖化」説が優勢なようですが,まだまだわからないところも多く,そもそも温暖化しているのかという議論は必要でしょう。しかし,うえにあげた7つのポイント(原著では25ポイントあげられています)の前4つの慎重さと比べ,あとの2つは飛躍が大きすぎます。「全体主義」や「新しい帝国主義」へ進むかどうかは,「地球温暖化」とは直接因果関係を持っていない問題です。政治の問題であり,人間が世界や社会をどのように形成していけるのかの問題です。「明日の天気もわからないのに10 ~ 100年後の温暖化が予見できるのか」と言われれば,誰も確実なことは言えるはずがありませんが,「それゆえ」環境保護運動はすべて無駄だという結論をただちに引き出すとすれば,それはそれでクライトンの批判する政治性とは逆ベクトルの政治的含意をもってしまいます。

クライトンはこの本の「補遺」(Appendix)で,科学の政治的利用の危険性について述べています。しかし,彼はこの本を書いた1年あまり後にはブッシュ大統領にホワイトハウスに招待されています。大統領はこの小説は「熱心に読んだ」そうです(NY Times Feb. 19, 2006)。クライトン自身がその招待の政治性に気づかぬはずがありません。

Al Gore は逆の立場から,この本をあてこすって,

The planet has a fever. If your baby has a fever, you go to the doctor […] if your doctor tells you you need to intervene here, you don’t say ‘Well, I read a science fiction novel that tells me it’s not a problem.”

と言ったそうです(英語版Wikipedia による)。これまた(元)政治家らしいわかりやすいが,いささか naïve な批判です。

問題は,科学というものが政治と,それも大衆レベルで,不可分になってしまったということによって複雑化しています。

たしかに,自分を安全な所に置いた上での議論,暖かいリビングでおいしいお鍋をつつきながら「温暖化ってやーね」的な物言いには,わたしも不快感を感じずにはいられません。しかし,先進国の人間が環境問題にこれほど熱を上げるのは,「地球規模の危機」という問題設定自体が,ひょっとすると国民国家の枠を超える何かへの道を照らしだしてくれる,そんな潜在的な思いがあるからなのかもしれません。キーワードは「環境」でなくても,「小惑星の衝突」でも「宇宙人来襲」でもよかったのかもしれません。それは幻想でしょうが,ちょっと魅力のある幻想ではあります。

この本の題名 “State of Fear” に触れておきます。環境問題がこれほどまで「問題化」されたのは,冷戦終結が原因だ,とある登場人物が言います。

“For fifty years, Western nations had maintained their citizens in a state of perpetual fear. Fear of the other side. Fear of nuclear war. The Communist menace. The Iron Curtain. The Evil Empire. And within the Communist countries, the same in reverse. Fear of us. Then, suddenly, in the fall of 1989, it was all finished. Gone, vanished. Over. The fall of the Berlin Wall created a vacuum of fear. Nature abhors a vacuum. Something had to fill it.”

Evans frowned. “You’re saying that environmental crises took the place of the Cold War?”

国家が安定的に支配を継続するためには,国民を常に「恐怖の状態」に置いておかなければならない,冷戦終結後はそれが「環境破壊という恐怖」なのだ,というわけです。

国家は国民に危機感を与えつつ支配を維持するという部分は正しいとしても,冷戦→環境 という図式は成り立たないでしょう。先ほど言ったように,「環境」問題は空想的にせよ国家を超えるものなのですから。

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